20070309 in sawayama 2/2



龍譚寺奥にある墓地の、そのまた奥からが佐和山への登山道。
でも墓地の時点で既に不穏な傾斜・・・。
そして案内板もなんか不穏な感じ(;´Д`)

とか不穏な空気を感じていたら、思った通りこれは完全に
軽い登山」です・・・(;´Д`)ハイキングってどこまでがハイキング?
←これはまだマシな方。だって両サイドがあるから。
てか↑これもまだマシな方。
実は↓もマシな方。
酷いと写真撮る余裕もないくらいの幅しかないとか・・・。
ってか稲造は結構ケロっとして登ってたのですが、俺は何だか
妙に足がプルプルしちゃって変な汗をかいていました。
何でだろうとか思ってたら俺、高所恐怖症だったんだ(∀`*ゞ)テヘ


片側山肌、片側こんな角度の崖。
ちなみに下は木が生い茂ってて先が見えないとか・・・・
新吉必死に撮影。
何でみんな平気なんだろう!!?
とか叫んでたとかいなかったとか。
元某お館様と某イカの師が争った地の出身なので、山登りは
それなりに鍛えられていたのですが(遠足が登山な県)
やはり高所恐怖症のせいか、怖いものは怖い・・・。

登るときは歩きやすい格好激しく推奨です。
勿論水分も必需品です。
ちなみに1時間もかからないで登れます。


そりゃ良い景色だろうよ。的な絶景です。
琵琶湖がきれいでした〜・・・・。
取り敢えず、石碑激写。
この付近に賽銭箱があったので、賽銭投入しました。
いつもは「十分にご縁がありますように」で15円投入なのですが、
何にご縁?みたいなこの状況・・・・。
取り敢えず色んな意味を込めて108円投入してみたり。
ってか8円持ってた偶然がすてき★

こうしてまとめている今でこそ
聖地だの何だの言って不謹慎にもふざけていますが
関ヶ原の戦い後、ここに篭っていた石田家の方々は・・・・・
って考えて、やっぱり切ないとです・・・(´・ω・`)
何か、徳川方の伝令に行き違いが云々かんぬんで
石田家の方々は皆自刃したとか・・・・。

そっか・・・伝令か・・・ふうん・・・伝令ね・・・・。
本当かよ。とか思っちゃうのはイカンですな。


ベンチに座って眼下の琵琶湖を眺めつつ、
バッグに潜ましていたチョコを分け合って食べてみたり。





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